付記・臺頭の例のアレ

架鉄往来

「臺頭駅(後に相模大塚駅)」には東神奈川電車区の臺頭支区が存在し、少数ながら癖のある電車が在籍していました。一方同駅には蒸気機関車の機関支区が併設されていて6760や2120が配置されていました。その他に横浜から下って来る8620や茅ケ崎から上がって来るC11の整備給水等が行われていました。

と言うのは、臺頭駅と隣接する大上信号場(後にさがみ野駅)からは戦前には航空機工場や採土場、戦後には米軍サプライ施設や油槽場への引き込み線が四方に伸びており、それらと厚木飛行場を往来する貨物列車に充当する機関車の整備に、臺頭は実に良い場所にあったからです。

かつては横浜港でボートトレインを牽いて気を吐いていた6760は1950年代初めまで臺頭にいて、米軍関係の貨物や「旅客」を牽引していました。

「旅客」と言ってもお客は米軍人ではなく、基地で働く日本人労働者の輸送です。1日に数本、大上信号場の仮設ホームに停車する定期電車があり、そこで下車した日本人労働者は線路を渡って簡単な踏み台から専用の客車に乗り込み、仕事場へ向かっていました。

この曰くありげな客車は品川客車区に配置されていて、定期点検等は臺頭で代行していたと聞きます。

職用車である為か時代のせいか室内には座席はほぼ無く、照明も無し。9881に至っては屋根が迷彩のまま、側窓の殆どが板で塞がれています。室内はおろか車外にも斜めの補強材が打ち付けてあって、全く酷い車両であったと幾つかの実物誌に書かれていました。

このオヤ9880形式の書類は空襲で焼失しているらしく、その元形式等は追えません。

ただ「1908年米国ブリル製」であると言う事だけは多くの職員によって証言されています。

この物凄い客車は1953年頃まで使用され、その後職員輸送は臺頭駅からバス輸送に変わりました。廃車体は1958年頃まで相模国分の側線に放置されていたそうですが、何時の間にか姿を消していました。

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