架空鉄道・国鉄・JR神中線の車両6

架鉄往来

63型電車の繁栄(1960年代~)

終戦後、一旦ロクサン型は神中線から姿を消します。しかしそれも一時の事で1960年代に入り首都圏の国電各線に101系が姿を現わすと、余剰となった73系(旧63系)は地方の電化線区に転属し始めます。
神中線も例外ではなく、図に見るようなバラエティ豊かな編成で、我が世の春を謳歌していました。
Mc(73)+T(78)+T(78)+Mc(73)+Tc(68)+Mc(40)→厚木
Mc(73)+Tc(16)+Mc(11)+Tc(79)などと言った編成が、この時代に最も普通に見られたものです。
時代の申し子、ロクサンこと73系のバラエティはそれこそ千差万別で、どうかすると一両ごとに異なる程でした。スマートな全金の920番台がいるかと思えば、三段窓の「原始ロクサン」も混じり、二段窓ではあってもシルヘッダー付き無し、台車もDT13、16、20という賑やかさ。
この当時の神中線では日中は4連。朝夕にはMTcを増結して6連で運転されていました。図の5両目に位置するクハ68は神中線のピカ一で、唯一のセミクロスシート車でした。東京では少数派だった同形式は、電化された地方線に配属される事が多く、臺頭支区には2両が在籍していました。

その頃相模線では、キハ10系でほぼ統一された観がありました。どうした訳か相模線ではキハ20系は少数派で、キハ10が30に取って変わられた後でも、この20系は肩身が狭そうにしていたのを覚えています。
この時代、茶色のロクサンと暖色系のキハの出合いは、厚木、橋本、八王子、千葉、大宮、拝島等、至る所で見られました。

1960年時点で首都圏の電化支線では未だ17m級国電が主力で、その中でも神中線への63(73)系投入は早い方だった。これ以前から始まっていた二俣川始発、京浜東北線への直通は東神奈川(東ヒナ)の8連を使用していた為、馴染みがあったせいもあるだろう。

一つ前の世代へ

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