1913年に北陸本線が全線開通し、運転区間は新宿から富山に延伸した。
1915年には、この列車は随分と便利になったようである。同年10月改正でそれまで直通「普通列車」であった「富山」は、正式に快速列車としてスタートした。この時期、国産の新鋭9600が大挙して甲府、上諏訪、長野に入って2120と交替し、客車も明治以来のマッチ箱から、徐々に中型標準客車ホハ12000系に替わった。

甲府で一部を切り離し、身軽にした上で2120の前補機を附けて高原地帯を越える。9600とマッチ箱客車の取り合わせは、大正初期と言う時代ではさして珍しくない。

長野で9600からバトンを渡されるのはマレー9580。単機で直江津まで受け持っている。

直江津以遠ではこれまた新鋭の8620が担当する。そのため到達時分もこれまでの21時間から一挙に17時間へと4時間も短縮し(新宿-直江津間比較)、同時期信越本線経由の上野発金沢行き急行よりも富山駅基準で30分早着であった。
1925年頃から客車は次第に大型標準客車(ナハ22000系)が入るようになり、これまで勾配の関係で見送られて来た食堂車(ナシ20350)や2等寝台車(ナロネ20580)が編成に加えられて、益々看板列車の威容を整えたのである。
これ以降のイラストでは、直江津で方向転換する関係で、向かって左側が直江津を指向していると思って頂きたい。



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