中央本線が全線開通した1906年には、早くも「富山」の前身である直通列車が、飯田町-直江津間を走り出した。直江津行き直通列車時代。イラストには区間を書いてあるが、その全区間がこの編成だった訳ではない。途中途中で解結を繰り返し、機関車を交換しながら走る。前2両の客車は国分寺から川越行きになる。マッチ箱を連ねた編成で、途中塩尻では名古屋行きの車両を切り離し、ほぼ一日を掛けて走っていた。

八王子で1800から逆向重連の2120に交替して笹子峠を越える。恐らく甲府と上ノ諏訪で機関車を交換するのだろう。何れにしても急勾配区間なので2120系に限定される。

姨捨と関山は平坦線用4-4-0と勾配線用8100等の重連で克服していたようだ。

蒸気機関車時代の長距離列車は、まるで駅馬車が途中途中の町で馬を換えながら走るように、主要駅毎に機関車を交換しながら走るのが常であった。特に機関車が小さく、タンク機が主力であった明治時代にはこの傾向が強く、速度が出ない上に機関車交換の為の途中停車に長時間を要するので、必然的に到達時分は長くなったのである。


Comments