国鉄(インチキ)列車名鑑「急行富山」 1962年

国鉄(インチキ)車両図鑑

次の時代は「富山号」と改称された後の1962年頃のものである。
EF52に続く客車は明るいぶどう色2号に塗り替わり、区名表記や等級表示が変化している。寝台車はマロネ38に代ってCハネ+ハネに昇格。2等車はオハ35が主流だが、オハ46やナハフ11が混在して来ている。

甲府ではDF50に交替する。ディーゼル電気機関車としてはやや非力なDF50は、優等列車では必ず重連で使用された。客車は実にバラエティに富み、1等寝台、2等寝台、1等指定座席、2等座席と賑やかである。長野区に配置されていたナロハネ10が編成に豪華さを添えているようだ。寝台車は上下共長野で連結、解放する。

長野で寝台車と指定2等車のオハ46を切り離し、牽引は長野重装D51に交替する。

北陸本線で最後の活躍を見せるC57。この直後の1965年の泊電化によってEF70に道を譲る。

この時代の「富山」のダイヤは、時間短縮との闘いだったと読み取れる。
1957年、「富山」の前身「犀川」は新宿を22時20分に発車、富山に翌13時に到着していた。ほぼ15時間である。
1960年5月改正で中央、篠ノ井にDF50が入線した結果、新宿22時55分発、富山12時45分着。1965年の改正で上諏訪電化が成ると、新宿23時15分発、富山12時30分着。
このように小刻みに時間を短縮し、劇的な時間短縮とはならなかったが、その背景には「富山」の通る路線の殆どは単線であり、機関車交換や客車の切り離し等の手間多く、また夜行列車であるため夜間の減速、途中駅での長時間停車等の時間調整措置が必要であった事などが挙げられる。


また余談であるが1960年の改正では、「富山」の兄弟列車が誕生している。「冠着」がそれである。夜行の「富山」に対してキハ55系を連ねた「冠着」は、新宿を朝9時30分に出発し、富山に21時50分着と言うダイヤで運転された。
時間帯が良くないせいか余り人気が出ず、早くも1968年10月改正で、新宿-長野の「かむりき」(後、新宿-松本「常念」)と、長野-直江津-新潟・糸魚川の「青海」に分割され、発展解消した。

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