日本(インチキ)風俗大系 アメリカを心から憎む村

口上

この記事は週刊文潮1982年5月13日、連載記事「津々浦々・祭りを尋ねて」より転載した。


高知県鷹香郡八浦町御所浦地区。


南に入り江を臨み三方を山に囲まれた穏やかな漁村である。

承久三年、執権北条氏の意に染まなかった安宅皇子が流され、仮の御所が営まれた事に由来する御所浦には、何時頃開基したものとも知れない古い神祠や何宗とも知れない寺院が散在する事で知られている。

名産は場所柄から当然ながら鰹である。新鮮な鰹を目の前で叩いて酢橘醤油と味醂を合わせた独自のたれで頂く皿鉢料理はここ御所浦独自のものである。海沿いの宿屋ならば特に注文しなくとも割増料金不要で味わえるのが嬉しい。

人々は土佐沿岸の人らしく陽気で騒々しい。海に生きる人々は何時漁場で命を落とすか判らない故、このような民族性が出来上がったものであろう。

ただ、この御所浦の土地柄は他の地域とはっきり違う所が一つある。


「憎米」。この静かな村の人々は、この考えに対して一人も例外は無い。単にアメリカが嫌いなのではなく、甚だしく憎んでいる節があり、平和な漁村風景にそぐわない不協和音として心に迫るのである。確かに外来者が何となくアメリカの話題を口にした程度では普通に無関心な合いの手を入れて来る位であるが、もしもその人がはっきりとアメリカを褒め称え、手放しに賞賛したような場合、言われた村の人は不機嫌を隠そうともしない。口を聞いてくれなくなるであろうし、もしも釣り等で長期滞在するのであれば確実に居場所を失う破目に陥る。

何故御所浦の人々に限ってアメリカが心から憎いのであろうか。

太平洋戦争の折、合併前の御所浦村からは延べ十八名の男達が出征し、内一人が戦死している。だからと言って他に例が無い程アメリカを憎むとも考え難いし、戦死した一人は中国大陸で亡くなっている。

それでは幕末に何かあったのであろうか。

記録によれば安政二年と弘化元年にそれぞれ一度づつアメリカの捕鯨船が近くの日向浦に来航している。これとても単に嵐を避ける為であったり生鮮食品を買い求めたに過ぎない。御所浦の人々と接点があったにせよ何事か険悪な物を感じる訳ではない。

四月十二日に直近の日曜日は、御所浦の住民が全員集まって祭りを執り行う慣わしになっている。祭りの名前は明らかではないが部外者の参加は基本的に認められていないと聞き、もしかしたら村を覆う「憎米感情」を解く鍵はその祭りにあるように思われた。

偶々同期入社の記者が日向浦の出身であり、御所浦に親類もいると言う事を聞き彼に同行を頼んで祭りを取材する段取りを付けた。


予土線の土佐中郷でバスに乗り換え、重畳たる山並みを辿る事一時間半。目指す御所浦は輝く海に抱かれて眠ったように眼下にあった。このバスが走る自動車道は実に昭和40年代に入ってから完成したもので、それまでは陸路で御所浦に辿り付く事は不可能であった。古来からこの辺りの人々は隣村に行くにも帆を張り舵を取って行き来していたのである。難解な高知弁が更に訛ったような土地の言葉もこの閉鎖性を暗示しているのであろうか。


一旦宿に落ち着くと同行の記者の引き合わせで御所浦の自治会長氏に取材を試みた。自治会長は色々と言葉を濁しながら最終的にこう語ってくれた。

「この地区がよ、米国憎しで固まっちゅうのは不思議でも何でも無いけんどよ、その訳はそう簡単に教えゆう事は出来んがよ。興味本位で余所の人にほじられゆうのは我慢出来んきにねえ」

「この前の戦争? そんな昨日今日の話じゃあらせんがあで。土地には土地だけの業がありゆうでよ、そう万人向けな話とは訳が違うぜえよ」


その夜、いよいよ祭りに同行する次第となった。

二ヶ所神社と言う山上の祠の前に、夕方頃から三々五々村人が集まって来る。

先刻は普段着姿であった自治会長氏も独自の衣装に着替えてやって来る。およそ人々が参集した頃合を見計らって、自治会長氏の先導で更に山奥へと分け入って行く。その細い尾根道の途中に白い像が祀られている。

その像の前に人々は一斉に額づき、口々に祈りの言葉を唱える。

何人かの男がギターとハーモニカで陰鬱な曲を奏で始めると人々はそれに唱和し始める。男達は憤懣やるかたない表情を隠そうともせず、女達は誰もが聖像の足に取りすがって泣きながら唄っている。

音楽は次第に熱狂し誰の口からも憎々しげな口調で呪詛の声が上がり、熱狂がピークに達した頃、聖像の前に置かれた石の舞台に上がった自治会長氏は大音声を発する。

「Escuchen todos, ¿quién es el dueño de California al sur de Sonoma?(みんな聞け! ソノマ以南のカリフォルニアは誰のものだあっ!)」

「¡Es nuestro!(俺たちのものだ!)」

「¿Y Nevada? ¿Y Arizona? ¿Quién es el dueño de Nuevo México y Texas?(ネヴァダは? アリゾナは? ヌエヴォメヒコやテハスは誰のものだあっ!)」

「¡Está decidido, es nuestro!(決まってる! 俺たちのものだ!)」

「Nuestros antepasados ​​lucharon contra los pueblos indígenas, construyeron misiones y exploraron la tierra mientras difundían sus enseñanzas.(俺たちの祖先はインディオと戦い、ミッションを築き、伝道しながら開拓して来た) ¡Pero los estadounidenses nos robaron esas tierras y nos expulsaron!(然るにヤツらはその土地を奪い、俺たちを追い出した!)」

「¡No puedo perdonar esto bajo ningún concepto!(絶対に許さない!)」

「Algún día volveremos y les mostraremos de lo que somos capaces. Les mostraremos de lo que somos capaces. Le juro a San Francisco que recuperaremos Nuevo México.(何時の日にか捲土重来して見せよう。奴等に目に物見せてくれよう。この聖フランシスコ様に誓うのだ! 吾等は再びヌエヴォメヒコを奪い返すと)」

「Santiago! Santiago! Santiago!(南無八幡!)」

「¡No olvides San Jacinto! ¡No olvides Santiago de Cuba!(サン・ハシントを忘れるな! サンチャゴ・デ・クーバを忘れるな!)」

「Santiago! Santiago! Santiago!」

「¡Hermanos! ¡No dejen escapar con vida a los que están atrincherados en el Álamo! ¡Pinten de rojo el Río Branco!(兄弟たちよ! アラモに籠った連中を一人として生きて帰すな! リオブランコを赤く染めるのだ!)」

「Santiago! Santiago! Santiago!」

今や声を嗄らしたカウディリヨ-自治会長氏はこの祭りの日に限ってこう呼ばれる-は黒いソンブレロを高く振りかざし、聖フランシスコ像の前に仁王立ちとなって涙を拭おうともせず立ち尽くしている。

用意された旗が引き裂かれ焼かれる。兵士を模した赤い紙製のブレザーを着せた藁人形が燃やされ、人々は口々に「皆殺しの歌」を歌って夜が更けて行く。


ー故郷を追われ土佐に隠れ住むメヒコ人たちの祭り。

この祭りの模様を伝える事が、村に伝わる「憎米」の謎を解く鍵となる事は間違い無い。がしかし新たな謎が生じた事も忘れてはならない。謎は自ずから増殖し再び我々の頭を悩ませる。


翌月曜日、村は元通りの静けさを取り戻し、海は穏やかに輝いていた。

本稿了、2026・9・8

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