狐狸妖怪が支えた日露戦争

贋誌百珍

と言うお題。前近代を引きずったまま近代化へ邁進していた明治時代、狐狸妖怪天狗の類は人々のすぐ近くで共存していました。その狐狸妖怪からしたら親しい隣人であった日本人が、民族の存亡を賭けて戦う破目になった日露戦争と言う未曽有の国難を陰から助ける筋書き、旧寂景院には上げていなかったお話です。


1903年、露探からの電話をロシア大使館ではなく無意識にイギリス大使館へ繋ごうとする、狐に憑かれた電話交換手。


不意の露探からの通話に驚愕し混乱する東京のイギリス大使館員たち。


「ヴォルギンだって! ユゼフ・マヤコフ、有名なロシアのスパイじゃないか!」
「シーッ、閣下どうかお静かに、今アンナが聞き出しています」


やがて1904年、日露開戦。元から戦争が大好きな権六だぬきは待ちかねたかのように海を渡り、得意の謀略工作を展開した。満州軍を率いるクロパトキン中将に、黒木為楨の第一軍の強さをささやき込む参謀。次第にクロパトキンは黒木を恐れるようになって行く。

「閣下、日本軍第一軍を率いる黒木為楨は強いです。彼の為に我が軍は甚大な損害を被るでしょう」
「…今の参謀は誰だ! 口髭を生やしたおかしな訛りのある参謀だ!」
「閣下、そのような者はおりません」

次第に疑心暗鬼に陥って行ったクロパトキンは日本軍の戦力を過大評価するようになり、ここぞと言う所で敗北を重ねるようになって行く。遼陽会戦でクロパトキンは、太子河に進出した黒木為楨の第一軍の規模を過大に見誤り、包囲を恐れて北方へ退却する。ささやき戦術の最初の戦果だった。


旅順要塞は乃木第三軍の猛攻を支えながら尚も頑張っていたが、

「中将よ、あれを御覧なさい。兵士も市民も限界に来ておるではないですか。今は多くの命を救うべき時です、決断なさいアナートリイ・ミハイロビッチよ」

うなだれたステッセル中将は遂に決断した。彼は傍らにいた伏見の白狐を最後まで副官のコンドラチェンコ少将だと思っていたらしい。

この後水師営の会見となる。


一方、満州の地上戦のクライマックス、奉天会戦でもクロパトキンは失敗を重ねた。既に権六狸は姿を消しているにも関わらず、日本軍、殊に黒木第一軍への恐れは動かしがたいものとなり、情勢判断を誤った結果、ロシア軍有利な状況でありながら奉天の放棄を決定し鉄嶺まで退いた。結果として日本軍は戦闘不能になる寸前で勝利を勝ち取った。その後クロパトキンは解任された。


ロシア国内は騒然としていた。日本の特務、明石元二郎大佐はロシア国内に潜入して諜報活動を行っていた。活動家ウラジミール・レーニンは革命を起こそうと画策している状況であり、そのレーニンや、血の日曜日事件の指導者ゲオルギー・ガポン神父の間を取り持った謎の狸顔の人物がいたとされている。

それは阿波の團十郎と言う古だぬきで、権六への対抗心から慣れない仕事を引き受けた。結果それは上出来だった。画像はロンドンの中華街で明石大佐とレーニンの初対面が成功して、嬉しい余りちょっと尻尾が出てしまった團十郎だぬき。


1905年1月9日、ペテルブルグの冬宮に向けたデモ行進の先頭に立つガポン神父。その傍らには豊川から遣わされた霊狐が守護している。しかし霊体なので銃弾までは防げず、この直後ガポンは朱に染まって倒れた。

豊川の霊狐はガポンを護れなかった事を恥じ、あちら側の担当に亡骸を託すと黙って豊川の神域へ帰って行った。


旅順要塞の陥落と共に太平洋艦隊を喪ったロシアは、皇帝の命で第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)を組織、名将ロジェストヴェンスキー中将に対して東洋への回航を命じた。日本海軍はその動向を必死で探っていたが、1905年4月、シンガポールで航行を確認されて以降はその行方が掴めなくなった。

焦慮していた日本海軍に代わって偵察に出掛けた海坊主。ベトナムのホンコーヘ湾で係留中の第二太平洋艦隊を発見したが、それをどうやって本国へ伝達するかを何も考えていなかったので、取り敢えず日本まで泳ぐことにした。


バルチック艦隊旗艦クニャージ・スワロフ。ホンコーヘ湾出撃後、艦隊を二分して日本の太平洋岸を威嚇させる積りだったロジェストヴェンスキー中将に、笠間稲荷の眷属狐に憑り付かれた航海参謀は全艦隊一丸となって対馬海峡へ向かう事を進言し、それは受け入れられた。

ロジェストヴェンスキー「台湾沖で艦隊を二手に分け、一方は太平洋岸を進んで宗谷海峡からウラジオに向かわせる積りなのだが…」

参謀「石炭の残量が気になります。ヤポニェチの艦隊は海戦続きで満足に補修も出来ていないでしょう、ここは打って一丸となって対馬海峡を通過すべきです!」

ロジェストヴェンスキー「そうか、対馬海峡か…」


対馬海峡へ向けて全力航行中のバルチック艦隊、先頭を行く戦艦オスラビヤに舟幽霊が現れ、柄杓で海水を掛けて沈めようとする。この直後の第一次海戦でオスラビヤは真っ先に撃沈された。舟幽霊に「柄杓をくれえ」と言われたら底の抜けた柄杓を渡すと言う事を、ロシア水兵は知らなかったのだろう。


海戦後、捕虜となったロジェストヴェンスキー中将を海軍病院に見舞った東郷大将。
「勝敗は兵家の常です、どうぞ気を落とさずに…」
「東郷提督、私には分からんのです、どうしてあんな判断をしてしまったのか、自分がした事でないような気がします。誰かに動かされていたように思えてならんのです」


第二太平洋艦隊が全滅した後もロシア皇帝の継戦意志は固かった。ポーツマスで既に講和会議は始まっていたが、皇帝はロシア全権ウィッテに「1インチの領土、1カペイカの賠償金も渡してはならぬ」と訓令を出していた。

そんなある日、ペテルブルグの王宮。


「ツァーよ、後ろを向け、そして吾の言う事を聞け、無賠償無割譲等は絵空事だ、人道の為、日露両国民の為、和平の道を取れ! さもなくば貴様を取って喰らうぞ!」


荒事なら儂に任せろと遥々飛行して来た鞍馬山の大天狗に軽々と持ち上げられ、ニコライ2世は思わず目を剥いた。そしてこの事は記録には残されなかった。


同日ポーツマス。


ウィッテ「コムラさん、実は先ほど本国から新たな訓電がありました。それによれば我が皇帝陛下のお気持ちに変化があったらしく、樺太南部の割譲であれば認めても良いとの事です」
小村「素晴らしい! それならば本国を納得させられそうです。早速本国に伝えましょう!」


このようにして、日本の直面した未曽有の国難である日露戦争に対して涙ぐましい努力を重ねていた親愛なる日本人に、その隣人である狐狸妖怪は進んで協力し、見えない戦力として盛んに「偶然」を作り出し、結果日露戦争は日本の国力で望み得る最善の結果に落ち着いた。

兵士は続々と凱旋し、国全体が祝祭気分になっていたし、

「見えない戦友」であった狐狸妖怪も、その本来の棲み処に戻って行った。


ロシアに戦勝した事で日本は列強の一郭を担い、必然的に科学技術が進展した。1911年、徳川大尉の操縦するファルマン機に天狗が競争を挑み、見事に負けてしまった。これが、


関東大震災を経て日本が科学万能の近代国家になり遂せると、そうした古い友人達の居場所はどこにも無くなった。

天狗が機械との争いに敗れた事はたちどころに津々浦々の狐狸妖怪に伝わった。それは大事件だった。
深夜の境内で会議を開く狐狸妖怪たち。


「まあ儂らの援けは今後要らんちう事じゃろ」
「こうだればへえ人間と関わらん方がええよう」
「儂らは知らん、人間がどうなってももう儂らは知らん」

前近代まであった素朴な民間信仰は迷信と決めつけられ、狐狸妖怪は人々から嘲笑われ忘却された。異形の者たちは度々会合を開き、今後日本人を援ける事はやめようと決めたのも、関東大震災後の事であった。


そして、昭和の戦争は目も当てられない結果を迎えたのであった。


それでも、現代国家に変貌した我が国土には、人間の世界に紛れ込むように数多の狐狸妖怪が存在している。それは行き過ぎる人がただただ気付かぬだけなのである。

だから文明人たる諸君子よ、もしも貴殿にして新宿大便横丁等で泥酔している時、狐目のちょいと好い女に声を掛けられて良い気になっていてハッと気付いたら肥溜めに肩まで漬かっていたような事があれば、その状況に置かれし我と我が身を以て神明の霊験を寿ぐが宜しかろうぞ。ゆめゆめ疑う事勿れ。

本稿了、2026・2・19

あとがき:本稿はこれまで度々Twitter(旧ペケ)に上梓していたネタだが、これを決定版とする。今回、殆どの画像をWhiskでアップデートしたが、モデルとなる見本画像は多岐にわたった。クロパトキン、ステッセル、ロジェストヴェンスキー、ガポン神父、全権ウィッテ、全権小村寿太郎、ニコライ皇帝、東郷平八郎、日露戦争時の日本兵、レーニン、明石元二郎、ロシアの機関車、狐目の女、肥溜め等である。

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